❤ 土と苗とあなたとわたし ❤
「空気がうまいのな」
ニコ、と満面の笑みを浮かべてスクアーロを振り返す山本。
ヅッキューン。
「―――っっ」
結婚して早数年。
もはや新婚とはいえない年月を共に過ごしているのだけれど、未だにスペルビ・スクアーロは山本武に惚れる。愛情に上限なんかない―――と、しみじみと感慨にふけることも珍しくなかった。
「タケシ………っっ」
「うわっ。ちょ、だめだってっ」
抱き寄せようと体を接近させてきたスクアーロから急いで距離をとる山本。
なぜなら、
「足元! 苗、踏みそうになってるのな!」
かつ、両手は田んぼの泥で汚れていた。
―――そう!
二人は今、田植え中だったのだ!!
なぜ、そんなことをしているのかと言えば………
ここはスクアーロが農機具メーカーの営業で研修に来たことのある農家なのだが、その家のお婆ちゃんがギックリ腰になってしまったことが理由だった。
突然体の自由が効かなくなった彼女には息子夫婦がいるのだが、息子達は現在イギリスで暮らしているため、駆けつけることができなかったのだ。
近所の人の世話になったりで、家のことはなんとかなっていたのだけれど、さすがに田植えまでは頼めない。
そんな折、たまたま窮状を聞きつけたスクアーロの元上司がドンと胸を叩き安請け合いしたのである。
『ちょうどいいことに、スクアーロくんが帰ってくるから、彼を向かわせますよ。花江さんには、何度も大量に米やら野菜やらを送ってもらって大変感謝していましたし。ここで恩返しをしとかないとね!』
スクアーロは花江お婆ちゃんに妙に気に入れられ―――なんでも、近年稀な元気の良い青年だ、と感心していた―――研修を終えた後も折に触れて気にかけてきた。
初恋の人に似ているからとかいう話もあるとか、ないとか(笑)
―――で、丁度、しばらくはオフだったということもあり、スクアーロだけではなく山本も伴って東北の山村に行くことになったのである。
イタリアではネギなどを自家栽培していたくらいなので、山本は農作業に抵抗がない。
所謂『田舎』というものを持たない並盛生まれの並盛育ちの山本は今回の話を喜んで引き受けた。
「うおぉ〜いっ」
抱きつきたい衝動をどうしろと!?
泥に塗れた両手をワキワキと動かし、吠える鮫男。
「くっそー、こうなりゃ一気に片付けるっ」
ブワサァッと髪を振り乱すや否や、スクアーロは腰を屈め、怒涛の勢いで苗を植え始めた!!
「お、はっえー」
黒い長靴が見る見る内に遠ざかっていく。
その後には等間隔に緑の稲が並んでいた。
几帳面とは程遠い言動をするスクアーロだが、こういう時は意外にきちんとやってのける。
案外、暗殺業と同じくらい農業も向いているのかもしれない。
花江おばーちゃん手作りのモンペも、まあ似合っていなくもない。
昔懐かしい井桁模様の紺のモンペは山本とお揃いだったりするので、口では『こんなの着られるかぁっ』と文句をつけつつ、内心うれしく思っているのが仄かに透けて見える。
「オレも負けてられないのな」
機械でやるより早いスクアーロの田植えに負けじと、山本も気合いを入れる。
そして、二人は競うようにして苗を植えていく。
若い二人がフルスピード―――というか、常人ではありえない速度―――でやれば、かなりの面積を一日でこなすことが可能だ。
日が暮れる頃には総面積の2分の1ほどが完了した―――
―――数時間後。
「はぁ〜………さすがに、ちょっと腰が痛いのな」
トントンと軽く腰を叩く。
体の輪郭が夕陽を背にしているせいでオレンジ色になっている。
「これくらいでヘバったのかぁ」
「スクアーロは腰、痛くなったりしねぇの?」
「へーきだぁ!」
――――――というのは、勿論虚偽報告である。
普段しない姿勢を長時間維持し続けたのだから、いくらこれが初めての経験ではないとはいえ、まったく平気ではいられない。
でも、多少はコツを心得ていたので、山本よりはマシな状態だった。
「すげーのな」
素直にスクアーロを褒める山本。
キラキラとした尊敬の眼差しに、夫はヘラっと、だらしなく頬を緩ませる。
「あ、でも―――」
「なんだぁ?」
「髪の毛が汚れちゃってるのな」
―――スクアーロのキレーな銀髪に泥がこびりついていまってる………。
毛先から15センチほどに泥が付き、乾いてパリパリに土コーティングされていた。
頭を下げていたため、箒のように毛先で田圃を掃いてしまっていたのだろう。
「あぁ?」
長く伸ばしている割に無頓着なスクアーロは泥のついた髪を一瞥しても、特に思うところはないようである。
ペンキがついたというのならともかく、泥んこ汚れは直ぐに洗い流せる。
汚れに無頓着な夫とは少々異なり、山本は髪の汚れが気になるようだ。
「気になるなら洗わせてやるぞぉ」
何故かそこで大上段なセリフを吐くスクアーロ。
普通、洗ってもらう立場の方が低姿勢になるところだと思うのだが………。
「!?」
スクアーロの提案に山本は一つ返事で飛びつく。
「洗う、洗う!」
普段は家事の負担があるので、そうそう夫と一緒にお風呂に入る時間はない。
というか、スクアーロの長〜い髪を洗ってあげるのは慣れない身には時間と手間がかかるので、なかなかできることではなかった。
スクアーロ本人は特殊な技(?)を自ら編み出し済みらしく、高速で手を動かしショートカットの人と同じくらいの時間で洗髪を完璧に済ませることができるのだが。
「楽しみなのな〜」
大好きな夫の、大好きな銀髪に思う存分触れられると思うと、とっても嬉しくなる山本だった。
うきうきした笑顔を見せる山本の様子にスクアーロも頬を緩ませる。
そうして、二人は仲良く手を繋いで家路を辿った―――
以下 同人誌へ。