「山本家の恋愛家訓」

p3〜p6から一部抜粋

オープニング

「オヤジ〜!」

 大声を上げながら、山本武(14)は【竹寿司】に駆け込んできた。

「おう、どうしたんでぃ。そんなに慌てて、蛞蝓でも空から降ってきたか?」

「そうじゃねーのなっ」

 一瞬、その光景を想像し、ブルっと背筋を震わせる。

「オレ―――告白されたのなっ」

「相変わらずタケシはモテるなぁ。父ちゃん鼻が高いぜ」

 幼少の頃から息子が女の子にモテている姿を何度も目にしているが、その光景を見るたび、剛は自慢に思う。

「しっかし、どーしたんでぃ? 告白なんぞ日常茶飯事だろ?」

 血相を変えて家に駆け込むような出来事ではなくなっているはずなのだが……。

「ははぁ……今回は、ちっとばかり毛色の違う子に告白されたんだな?」

―――武は年上にもモテるからなぁ……。親子程離れた熟女にでも迫られたかぁ?

 八百屋の奥さんに『今度デートしておくれよ』などと言われるのはよくあることだが、その辺りは挨拶みたいなものなので、武も今更狼狽したりはしない。

 だが、馴染みのない女性に露骨なアプローチをされたら、常に飄々とした野球少年でも、たじろぐ可能性はなきにしもあらずだ。

 剛はニヤニヤと少しばかり人の悪そうな顔で息子を見遣った。

「あ……そんな感じかも」

 父の言に得たりとばかりに頷く。

「厄介な相手なら、父ちゃんが何とかして断ってやるぜ」

 年齢が倍も開いている女性がグイグイ迫ってきたら、中学生には荷が重いだろう。

 過保護とは知りつつ、山本剛は気楽な調子でそう言った。

「断る……?」

「違うのかぃ?」

 いつもと異なる息子の反応に、剛は怪訝そうな表情を見せる。

―――おや、とうとうタケシにも彼女が出来るのかもしれねぇな―――こりゃ、孫の顔を見る日も近いかねぇ……。

 しみじみとした面持ちで、剛は何度も噛み締めるように頷く。

「武のはじめての彼女さんてのは、どんな子なんでぃ? 一度、うちに連れてきてくれねぇかい?」

「彼女、じゃないのな」

「おっと。まずはお友達からはじめましょーっていうことかい。いいね、いいね。初々しくて」

 少しずつ段階を踏んでいくという姿に、古きよき昭和の香を感じる。

「親父、ヒバリは男だから彼『女』じゃないのな」

「そうか、そうか。ヒバリっていうのか、カワイイ名前じゃないか――――って、男だとぉおお!?

「おう」

 ムンクの表情で叫ぶ父に平静な顔で応じる息子。

「ついでに言うと、ヒバリは苗字で、名前じゃないのな。下の名前は確か……恭弥だったと思う」

 苗字でしか呼んだことがないので、あんまり自信はない。

 雲雀恭弥のことは並中の生徒なら『雲雀さん』『ヒバリ』『委員長』と呼び、ファーストネームを口にする者はほとんどいなかったので。

「さ、さすがは父ちゃんの子だねぃ。男が惚れる男ってやつになるたー、見上げたヤツだな」

『告白』というから、ついつい恋愛方面のことだと早合点してしまったが、実はそういう色めいたことではなかったのだろう。

 そう、無理矢理納得しようとする剛に向かい、

「男同士でも恋人になれるなんて知らなかったのな……今日はじめて知って、びっくりした」

 びっくりした―――と言いつつ、なんとなく嬉しそうでもある。

「まさか、あのヒバリに『好き』なんて言われるとは夢にも思ったことなかったし……でも、なんか悪い気がしなかったから、つい『うん』って答えちまったのな」

「はぁーーー!?

 つい、で。男からの告白に肯定の返事を返した息子に対し、父親は到底笑って『よかったな』とは返せなかった。

「待て、待て、待て! タケシ、ちょっとその返事、待った!」

「―――親父?」

「早まるんじゃねぇ」

 頭に巻いた捻り鉢巻を取り外し、それでゴシゴシと汗の浮かんだ顔を擦る。

―――落ち着け、剛。

 マイノリティ的恋愛に踏み込もうとしている息子を引き止めなければ!

 今なら、まだ間に合う!

 剛は気合を入れ直すように、再び頭にタオルをきつめに巻きつけた。

「―――武」

「うん?」

「大事な話がある。居間に行って父ちゃんが来るのを待っててくれ」

 真剣な表情で話しかける。

「わかった」

 いつになくシリアスな空気を漂わせている父に、山本もまた表情を引き締めて応じた。

 住居の方に息子の姿が完全に引っ込むと、剛は大きく息を吐き出した。

 そして、引き出しから硯と筆をとりだし、新しい巻物にさらさら〜っと文字を書き記す。

 流れるような草書体で見る見る内に紙が埋まっていく。

 そして、五分ほど後、剛は筆を置いた。

「―――よし。これでいい」

 バン、と広げた巻物を満足げに見、漸く表情を緩めた―――。

  

「武、実はウチにはこういうものがあってな―――」

 居間で正座して待っていた息子に書き上げたばかりの書を披露する父親。

「恋愛家訓……?」

 冒頭の文字を声に出して読む。

「おうよ!」

 それは山本家の恋愛家訓が記された巻物であった。

 つい先程書き上げたばかりなのだが、剛は昔から伝わってきた物―――のような口ぶりで見せていた。

 恋愛家訓〜序〜 交際条件

一、              寿司桶を片手に持って、自転車の運転が出来なければならない。

二、              寿司全種好き嫌いなく食すことが出来なければならない。

三、              魚が捌けなければならない。

四、              天然と養殖w見分けることが出来なければならない。

五、              米の銘柄を正確に言い当てることが出来なくてはならない。

六、              朝・昼・晩 魚料理でも大丈夫でなければならない。

―――続きは本でv