「キス&クライ〜fight on ice〜」
本文より一部抜粋―――
アクアリオンでの戦いは時の運もあってか、山本に軍配が上がった。
この時点でスクアーロの方が圧倒的に実力があった。
それでも、勝負は水ものであり、必ずしも実力が上の者が勝つとは限らない。
だが、もちろん、それでも勝者は勝つべくして勝つ。
スクアーロは刀小僧と侮っていた山本を、これを機に己の永遠の好敵手として認めた。
「生きててくれてうれしいのな!」
リング争奪戦後、山本はスクアーロと再会すると、開口一番そのセリフを口にした。
「オレが鮫に食われるわきゃねぇぞぉ」
「だな。でも、鮫って共食いする魚だからさ」
笑顔でさらりと怖いことを言う。
「それに、あんたが死んじゃうと困るのな」
「ほぉー……オレに惚れたかぁ?」
様々なゴタゴタもどうにかこうにか落ち着き、スクアーロは軽口を叩けるまで余裕を取り戻していた。
「惚れ……? スクアーロの―――がスキなのな。見られなくなったら悲しいのな!」
―――のところで、ちょうど上空をヘリが通り過ぎていったため、スクアーロの耳にはその部分の単語が届かなかった。
「―――!!」
スクアーロの様子がおかしい。
白い肌が茹で上がったタコのように朱色になっていたのである。
「ス、スキだとぉ!? てめー、何ふざけたことぬかしてんだぁっ」
「…………?」
いきなり様子のおかしくなったスクアーロを山本は至近距離から不思議そうに見上げるた。
「どうしたのな?」
その上目遣いに、スクアーロは、
「ぐはぁっ」
更に動揺したようである。
「た…誑かそうったって、そうはいけねぇぞっ」
「???」
狼狽しまくっているスクアーロに、山本はますます不思議そうな表情をする。
そうすると更にあどけない顔になって、可愛いくなる山本武(14)だった。
「ぶはぁっっ」
なんか、鼻の奥がツンとしてきた。
―――やべーぞぉ。
あと一押しされたら、鼻血が出てしまうかも。
暗殺部隊の一員として、それだけは回避しなければ。
部隊の沽券に関わるだろう。
スクアーロは三国一の可愛い子ちゃんから目を逸らし、遠くの緑を見る。
「なー、なんでこっち見ねぇの?」
不自然に視線を逸らされた山本は疑問を発した。
「気にすんなぁ」
余所を向いたまま返答するスクアーロ。
「ま、いっけど。それで、何か用があって来たのな?」
「ああ」
うっかりペースを乱されてしまったが、本来の目的を思い出す。
「てめーに再戦を申し込みに来た」
「再戦?」
「真剣勝負だぁ」
「っていうと、剣の?」
「それ以外に何がある」
「スケート、とか? スクアーロ、野球はやってねーよな?」
「あぁ!? リンクの上でテメーの顔見た覚えねぇぞぉ」
「まー、まだシニアの大会には出たことねーからな」
「ジュニアレベルで、このオレ様と勝負になると思ってんのかぁ?」
「やってみなきゃわかんねーのな」
リング争奪戦でも、下馬評を覆し勝利を捥ぎ取った山本である。
「―――上等だぁっ。大口叩いたこと後悔させてやるぜ」
「後悔なんかしないのな!」
ニカっと笑って、応える。
『♪ ♪ ♪』
と、そこへ携帯の着メロ『トスカ』が流れた。
「あ、氷室コーチだ」
慌てて携帯を取る。
『武くんっ、またケガかい!?』
リンクに現れる時刻を過ぎても姿を現さず、遅れると連絡も来ないので心配になって電話してきたのだ。
「ケガしてませんっ。今からそっち向かいますっ」
今まで何度となく心配を掛けていることを悪いなぁと思っていたので、まずはケガを否定し、すぐリンクに行くことを伝えた。
「ワリィ、これからすぐにリンク行かないといけないから! 話の続きは夜にでも携帯にしてくれなのな!」
「お―――おいっ」
話の続きも何も、目的はしかりと再戦をすることだと伝えた。
あとは、場所を移して戦うだけなのだが―――。
話がちゃんと通じていそうもない様子だ。
「うおぉ〜い、待てぇ!」
いつも以上の大声を張り上げたが、俊足には叶わない。
山本の姿は既にスクアーロの視界から消えていたため、その声が届くことはなかった。
その後も折を見て、何度かスクアーロは山本に会いにきた。だが、どうにもタイミングが悪いらしく剣を交えるという望みが果たされないまま数ヶ月が経過した―――
〜中略〜
世界選手権 IN TOKYO
『The warm up is over
Please leave the ice』
大観衆の見つめる中、男子シングルフリー最終滑走グループの6分間練習が終わる。
そして、最終組第一滑走者の名前がアナウンスされた。
『On the ice
representing Canada―――』
盛大な拍手と共にグリーンのコスチュームを身につけたカナダの選手がリンク中央に滑り込んでくる。
一瞬、シンと静まり返った会場に軽やかな音楽が流れ始めた。
そして、はじまる四分半の幻想世界。
前日のショートプログラムで3位につけていたカナダの選手は出だしのトリプル‐トリプルを綺麗に決め、その後、アクセルからのコンビネーションジャンプも成功させた。
だが、後半疲れが出てきたのか、踏み切りに失敗しトリプル・サルコウをシングルにしてしまった。
ショートとフリーの合計、総合得点は222・87。
二番滑走――フランスの選手が滑り、結果は230・54。
三番滑走――前回大会準優勝のアメリカの選手が滑ったが、二度転倒してしまい得点が伸びずに222・55。
四番滑走――オリンピックで二度銅メダルを受賞しているベテラン選手。最盛期は過ぎているものの落ち着いた演技でまとめ、220・15。
そして、迎えた五番滑走。
『きゃーーーー』
『スク様―――』
濁音王子とかICE BEAUTYとか、ミスターパーフェクト等々、様々な呼び名をもつワールドチャンピオンが現れた。
ここ数年、彼がチャンピオンの地位を他に明け渡したことがない。
今回もそれは揺るがないだろうと言われている。
ショートプログラムでも完璧な演技を見せつけ、堂々一位。
何を思ったのか、SPの音楽は三味線という意表をついたものだったが、欧米人そのもの外見で見事、『和』を表現しきった。
そして、迎えたフリースケーティングでは一転して、ロマンチックムード漂う『ロミオとジュリエット』をかけた。
ディープエッジで氷の上を自在に滑走するスクアーロ。
ザッ。
後ろ向きに踏み切り、一回、二回、三回、四回と体を回転させた。
長い銀髪が氷の上を舞い、スクアーロの演技に華を添える。
そして、間髪いれず再び重力に逆らい、宙を飛ぶ。
『おおお!』
歓声が大きくなる。
スクアーロがしょっぱなから四回転フリップ‐四回転トゥループのコンビネーションジャンプを披露してみせたからである。
その後も滑り出したばかりのスピードを維持したままフィニッシュまで完璧な演技を見せた。
これぞヴァリアークォリティ。
そのクォリティは暗殺仕事だけでなく、スケーティングにも適用されていた。
最終滑走者を残して、早くも優勝の空気が濃厚に漂う。
なぜなら、たったいま世界歴代一位となる点数を叩き出したからである。
総合得点 280・13。
これを破るのは、作った本人以外にあり得ないだろう。
そんな空気の中、最終滑走の選手がリンクに躍り出た。
『On the ice
representing Japan
Takeshi YAMAMOTO』
まだスクアーロの演技に会場が酔いしれている中、山本武は飄々とした表情でポーズをとった。
ザワついた会場の空気に気づいていないはずはないだろうに、その表情に動揺は見られなかった。
『―――♪ ♪ ♫』
流れ出した曲はフィギャアではメジャーな『剣の舞』
アップテンポな曲調に合わせ、山本はスピードスケートのような早さでリンク外周を疾走する。
そして、スピードに乗ったまま一閃!
「「四回転-四回転」」
四回転ルッツから四回転トゥループを跳んだ。
ザシュッ。
果敢なる試みは―――しかし、転倒という結果に終わった。
派手なスライディングで横のフェンスに右半身がぶつかる。
『痛そう』
『大丈夫なの!?』
『続けられるのかしら?』
ざわめく場内。
だが、観客の心配をよそに、山本は元気よく飛び起きる。
そして、数秒の空白を物ともせず、音楽にのって、高速スピンを回りだす。
フ軸足を曲げ腰を下ろし、フリーレッグ(氷りついていない足)を前に伸ばした姿勢で行うシットスピンからフリーレッグを軸足に絡ませ、状態を密着させて行うキャノンボールスピン。そこから足を変えながら起き上がり、上半身を水平にするとともに片足を後方に伸ばしてキャメルスピン。
目が回らないのだろうか?そんな疑問が沸いてきそうなスピードで山本はスピンを回り、その後、ステップを入れてトリプルアクセルを跳んだ。
高く、飛距離のあるそれは、基礎点以外に+3のGOE(Grade of Execution
演技審判によって0をベースとしてマイナス3からプラス3の7段階で評価された各要素の出来栄え)がもらえる代物だ。
その後、以前は苦手にしていたステップシークエンスも笑顔でこなし、なんと終盤に来て、四回転-四回転を成功させた。
最初の失敗など全く頭に残っていないような、思い切りの良さで踏み切り、今度はグラリとよろけもせず着氷する。
ジャンプの高さだけなら、スクアーロをも凌いでいたかもしれない。
氷上での姿勢はスクアーロの方が上だったかもしれないが。
ただ、基礎点はフリップを跳んだスクアーロよりルッツを跳んだ山本の方が高い。
スクアーロもルッツは跳べる。だが、まだ成功率が100パーセントではないのだろう。
ヴァリアークオリティは決して失敗しないということなので、フリップジャンプで確実に成功させることにしたのだ。
それは守りに入っているという訳ではなく、これがヴァリアーなのだ。
『―――フィニッシュ! 日本の山本選手、満面の笑みで演技を終えました!!』
テレビではアナウンサーが興奮した様子で実況中継していた。
『おっとぉ、山本選手の体が―――っ』
笑顔で演技を終えた山本の体がポーズをとったままの格好でグラリと傾く。
よくよく顔色を見れば少し青褪めていた。
一秒どころか一瞬も集中を切らさず、超全力投球したためである。
―――トサッ。
氷の上に倒れかけた山本の体が長い腕に支えられ、空中で止まる。
「……スク、アーロ……?」
汗が滴る瞼をムリヤリこじ開け見上げると、そこには演技を終え、KISS & CYR傍でインタビューに答えていたスクアーロの姿があった。
「四分半程度の全力投球で倒れてんじゃねぇ」
今、ここに刺客が現れたら死ぬぞぉ、と物騒なことを言うヴァリアーの剣士に、
「ハハ、そん時はあんたが何とかしてくれんだろ?」
もう敵じゃない。
そう判っているからか、山本は手放しの信頼を目の前の男に対し与えていた。
「うおぉい、人を当てにしてんじゃねぇぞぉ」
反論しながら満更でもなさそうな顔を見せる。
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