「キミに出逢えた奇跡」
p7〜p11から一部抜粋―――
団体の旅行客が脇を通り過ぎた刹那、山本の体は弾かれるように押された。―――!?
ぱちくりと丸い瞳を更に丸々とさせて、山本は呟いた。
「あちゃぁ……」
ポリポリと頬を指でかくと、ゆっくりと―――だが、大きな歩幅で歩き出した――――――。
「―――よっ!」
「―――!!」
「拾ってくれたのな?」
大通りをはずれた路地にいた子供の掌の中からナイロン製の財布が抜き取られる。
「ちっ」
擦り切れた服を申し訳程度に身につけた10歳くらいの子供は年不相応な舌打ちをすると物も言わず駆け出した。
―――このオレが失敗するとはな。
お気楽そのものの顔をした観光客から財布を掏り取るのは子供にとって難しいことではなく、今まで一度もミスったことはなかった。
被害者がその被害に気づく頃には、とっくに子供は彼らの手の届かない場所にいっていた。
こんなことは初めてだった。
だが、それによって危機感を覚えることはなかった。
掏りとることには失敗したが、逃げ切る自信はあったからである。
また観光客とちがい、彼はこの街の道を知り尽くしている。
いざという時に備えて万事怠りはない。
「―――ちょっと待ったぁ!」
だが、たどたどしいイタリア語が掛けられると同時に、彼の行動は制止させられた。
「離しやがれっ」
掴まれた左手をブンブンと上下に激しく振るが、掴む手は小揺るぎもしなかった。
『拾ってくれた』とか言っていたが、現実には盗まれたということが判っているのだろう。
このまま手をひっぱって警察まで連れて行く気なのだ。
そう感じた子供は更に抵抗を強めた。
10歳という年齢なので、刑務所に収監されることはないだろう。
だが、一年前に親を亡くした子供は警察に連れて行かれたら施設に放り込まれることになる。
親を亡くして一度は施設に入ったが、劣悪な環境―――施設の所長も職員も全く子供達のことを考えていなかった。それどころか、平気で食事抜きや暴力をふるった―――に、入所して三日で逃げ出した。
そこ程酷い場所はないかもしれないが、それでも五十歩百歩だろう、どこだろうと。
そんな場所でガマンするくらいなら一人で生きる方がいい。
子供は廃屋を根城に、犯罪に手を染めながらも逞しく生きていた。
時に、性質の悪い不良たち絡まれて危険な目に遭う事もあったが、自分より大きな人間にも怯むことはなく、満身創痍になりながらも返り討ちにしている。
暗褐色の双眸は決して人に屈することはない。
金を巻き上げようとした不良が逆に自ら全財産を献上するハメになったという事は度々あった。
子供から喧嘩を吹っかけに行くことはないようだったが、売られた喧嘩は倍返しにするのが彼の流儀だった。
最近では『赤眼には手を出すな』とまで囁かれるようになった程、子供は知る人ぞ知る存在になっていた。
負けなしで過ごしていく内に、子供は自分が無敵の存在とでも思うようになったのかもしれない。
井の中の蛙大海を知らず。それは狭い世界だけの強さだったようだけれど。
それを、彼は今日、知った―――日本からやってきた少年によって。
「まーまー」
落ち着けって。そう言いながら、山本は子供の前に膝を着いた。
「……何してやがる」
「ん?」
財布が入っていたのとは反対側のポケットからハンカチを取り出し、それを子供の手に巻きだした山本は問いかけられて、一瞬キョトンとした。
「何って……血が出てるから包帯代わりにハンカチ巻いているのな」
「余計な真似すんじゃねぇ、カスが」
言いながら巻かれたばかりの布地を剥ぎ取ろうとする。
「余計な真似って……まー、そうかもしんねーけど」
言い返しながら、布を剥ごうとする子供の手の上を両手で覆う。
―――こういうことされるの、確かに好きそうじゃないのな……。
お節介を焼いている自覚がないわけではないのだ。
でも、取り戻した財布の表面についていた血痕を見、その後子供の手を見たら放っておけなくなった。
子供の両手は霜焼けで罅割れ、血が滲んでとても痛そうだったのだ。
なのに、本人には痛いという自覚がまったくないようで―――だから、余計に見ていて痛々しかったのかもしれない。
「なぁ……家、どこ? もう日が暮れるし。子供が一人で歩いてたら物騒なのな」
夜は危ないので一人歩きは絶対に避けるようにと、日本を発つ前散々言われていた山本は心配そうに子供を見る。
夜間外出が危険なのは観光客だけではなく、地元民にも言えることだろう。
「てめー……ふざけてんのか?」
「ふざけてなんかないのな」
―――うっわー。すっげー、目つき。ヒバリより更に迫力あるかも…………。
同じマフィアごっこのチーム?―――ボンゴレ守護者―――にいる一つ年上の雲雀恭弥という少年も他に類を見ない目つきの悪さを発揮してくれているが、その雲雀少年に負けないくらい目の前の子供は目つきが凶悪だった。
日本ではまず見られないルビー色の瞳のせいで、尚一層迫力が増して感じられる。
「あ、もしかして、知らない人についていっちゃいけませんとか親に言われてる? だった親に迎えに来てもらうか?」
「そんなもんはいねー」
無表情に言い放つ。
「―――っ」
何となく、そんな答えが返ってくるのではないかという予感はあった。
だが、実際にその通りの答えを言われると言葉に詰まる。
「―――」
困ったように山本は眉を八の字に下げた。
そういった態度をとられるのは初めてではない。
キツイ一瞥を相手に送りながら、子供は山本の手を振り払う。
ブンッと音が鳴るほどの勢いで手を振り払われ、空っぽになった両の掌に一瞬視線を落とし―――山本は思わず、といった様子でそれを口にした。
「じゃ……ウチ、来る?」
「バカか、てめー」
心底呆れた声を出す子供。
―――今、初めて会ったばかりのガキに何言ってんだ、このカスは。
お気楽極楽そうな観光客に見せかけて、実は人攫いか!?
バラして臓器移植用に売り払う輩なのだろうか?
非常に胡散臭そうに、山本を見遣る。
―――そりゃ、ねーだろ。
赤眼の子供の大変優れた直感が、山本から犯罪者の匂いはしないと断じる。
彼はその秀でた感によって何度も危機を回避していきたので、自分の直感には自信をもっていた。
「あ……! 雪が降ってきたのな!」
やり取りをしている内に、空から雪の結晶が舞い降りてきた。
漆黒の、櫛で梳かしていないだろうボサボサの髪にふんわりと雪が着地する。
ひとつ、ふたつと増えていく幾何学模様。
「雪達磨になっちまう前に帰るのな」
「―――!?」
―――帰……る!?
いまだかつて、人にその言葉をかけられたことがなかった子供は背筋に電流を流されたかのように震えた。
「寒い、のか?」
強引に握り締めた掌から震えが伝わってきた。
山本は首に巻いていたマフラーをはずすと、ふわり、と子供の寒そうな首筋に巻いた。
「これでもう寒くないのな!」
―――続きは本でv